いろんなこといろいろ

シンガ 台湾 ハワイ スニーカー DAP イヤホンetc 自分が好きな物を緩く温く浅く

ジャークチキンサンド セブンイレブン 実食レビュー〔チキンビリヤ二おにぎりは売ってなかったけど?〕

 

 

 

 

はてなブログを利用している御方なら

と言っても書く側にならないと知らない事かも?だが

 

項目に「アクセス解析」ってのがあって

次に「最近のアクセス傾向」ってのがあって

更には「Google(他には Yahoo!検索etc.)からよくアクセスされているページ」

ってのがご丁寧にも表示される

 

きっとプロのブロガー達はそういった流れから新たな記事をエントリーしたりする事も多々あるであろう

私の様な弱小ブログだとお一人様が検索し当方のところへ辿り着いただけで大きく変動してしまうw(と思われる)ので、それに即して内容を記す事はないです

 

が、

ここ最近、昔のこれが何故かチョロっと上がって来てたりする ↓

iroirocolorful.hatenablog.com

「何だ?セブンイレブンでチキンビリヤ二おにぎりでも新発売になったのか?」

と検索したところで特に何もなし

果たしてシンガポール&チキンビリヤ二を紹介したTV番組でもあったのかしら?

 

そんなこんなしていたら

すっかり口がSPACY (スペイシー)

 

もとい

spicy(スパイシー)なものが欲しくなってしまった

 

ところに↓

f:id:iroirocolorful:20220326184445j:plain

ジャークチキンサンド セブンイレブン  310円(税込334.80円)

 2022年03月22日以降順次発売

 

 

 

 

 

『9種類のスパイスをきかせたジャマイカ風「ジャークチキン」をレモンマヨネーズソースで仕上げたバゲットサンドです』との事

f:id:iroirocolorful:20220326184531j:plain

ジャークチキンサンド|セブン‐イレブン~近くて便利~

販売地域:北海道、東北、関東、甲信越、北陸、東海、近畿、中国、四国、九州

 

 

これまた今になって気づいたのだが「税込334.80円」なのね

お値段だけあって

f:id:iroirocolorful:20220326184611j:plain

ご丁寧に赤と黄色のパプリカが並んでいるのが良い

ま、これ位はやってくれないとw

 

「パプリカ」じゃなくて「焼きピーマン」と記載・・・安っぽいな

f:id:iroirocolorful:20220326184555j:plain

山梨県製造でした

 

 

 

 

断面図

f:id:iroirocolorful:20220326184630j:plain

           お肉もちゃんとボリュームがある↑

 

コンビニのパンなぞ滅多に取り上げる事がない私 ↓  

iroirocolorful.hatenablog.com

&面倒くさがりの私が態々パンをカットまでして写真を撮るのには訳がある

つまりは

  ↓

お味の方は大満足(実はリピ買い)

スパイシーと言っても辛くはない

タンドリーチキン程ではないが十分複雑で楽しめ、遠くにシンガポールをも彷彿とさせられた

 

如何せんチキンはタイ産のブロイラーなので↓

f:id:iroirocolorful:20220326184644j:plain

ミル挽きでフレッシュペッパーを

 

残り半分にはエクストラバージンとカイエンペッパーを少々

するとアメリカの何処かで食べた味になった(多分、ケイジャン料理かハワイの何か)

 

私はフロリダのキーウエスト止まりで、

残念ながらその南、海の向こうのキューバやジャマイカには行った事がない。。

 

故に

『9種類のスパイスをきかせたジャマイカ風ジャークチキン』と言われてもピンと来ないのだが

一時期マスコミがやたらと連呼していた「環太平洋地域」もの

「パシフィックリム」料理系なお味なのであろう

(注※ ジャマイカキューバドミニカ共和国などのエリアは「環太平洋地域」には含まれない)

 

 

そもそもセブンイレブンの「~風」は

iroirocolorful.hatenablog.com

本家本元とはかなり違う場合が定期的にあるあるw

 

 

余談になるが

大学時代にかなりの地方出身者で英語も大して出来なかった女友達がいきなりジャマイカへ行って無事帰って来たのを思い出した(二十歳の身空で単身)

レゲエのカセットテープやらお土産を結構頂いて、色々と話も聞いたが全然ピンと来なかったな~今にして思えば勿体ない。。

何せ、その頃の私は海外旅行に興味すらなかった(が、翌年ほぼお任せ状態でシンガへ行く事となる)